活動記録>5/29『多武峰と飛鳥の隠れ里を巡る万葉旅行』 5班担当

異常気象続き。5月末といえど、早くも夏日が続く中、熱中症が心配なハイキング日和。バスで多武峰に到着。いきなりそこは尾形橋、続いて巨木の杉並木の古道。そして八画大石柱笠塔婆磨尼輪塔、異界の世界が続き、見知る談山神社とは違う。

【実施日】 平成25年5月29日(金)天候:晴れ   担当:5班(記録:高橋恒晴)
【参加者】 50名 
【行 程】 8:20集合,30出発:元中央郵便局南側―バス―近鉄桜井駅南口―多武峰談山神社―西門址(昼食)―明日香村・冬野―畑―尾曽―もうこんの森―細川谷―バス―
犬養万葉記念館(見学、喫茶、200円・班長会議)―バス―明日香の夢市(お土産お買物)―バス−
橿原神宮前駅―バス―元中央郵便局南側・JR大阪駅18:15
【活動記録】1)『談山神社』 談山神社由緒による
678年唐より帰国した長男・定慧和尚が鎌足の遺骨の
一部を多武峯山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して妙楽寺とした。
さらに701年方三丈(約9.1m2)の神殿を建て、鎌足の神像を安置した。
これが談山神社の始まりである。(十三重塔は1533年に再建:重文)

3)尾曽:標高400m、気都倭既(ケトワキ)神社と『もうこの森』
眼下に遠くは金剛、葛城、二上、信貴、生駒、と大和盆地を限る青垣山が見える風光の地。

「もうこの森」の名は、645年の大化改新中臣鎌足藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、ここまで逃げ込み「もう来ぬだろう」といったことに由来すると伝えられている。(入鹿は青垣山が見えやっと「現世」に戻った気がした。?)
【所感】
1)貸切りバスの料金急騰の折、いきなり屋形橋、梵字が刻まれた磨尼輪塔(宝珠)から始まった今回の探索(ハイキング)、『気津倭既神社と茂古の森』で一応の終了を見たわけですが、蘇我入鹿の首に追われてさまよい、忘れられ過疎に襲われている奥飛鳥探索、いかがでしたでしょうか?
2)集合画像はそら組御用達・集合写真専門の彦屋から、やっと受信。多人数のため、判読に苦労。